소개 詳細情報 地図 Otiri, Susan-myeon, Jecheon-si 村の平和と豊かさを祈願する洞祭の形態は、山神祭をはじめ城隍祭、塔神祭など様々である。山神祭は全国的に見られ、城隍祭は主に漢江以北に、塔神祭は漢江以南に分布している。吾峙の別神祭は漢江以北に分布した北方系の城隍祭で、その祭儀が別神祭の形式も帯びている。 吾峙の別神祭の由来は定かではない。しかし、吾峙村が約400年前に形成されていたことから、別神祭の発祥も400年ほど前に遡るのではないかと推定される。特に吾峙の裏山にはのろし台があって烽火軍が常駐していたという歴史的背景を考えると、吾峙の別神祭がのろし台と関連していたことが分かる。民間信仰として伝承されてきた民俗的風習である。 吾峙の別神祭は旧正月の14日の夜、山神祭は15日の朝から5つの峠にある上堂と下堂でまず城隍祭を行った後、村の本堂にて祭儀を終える。祭主の選定や祭儀の課程では、生気福徳に叶った者が村を代表して迎神、娯神、送神を行う。また、農楽も行われる。 神堂は堂家とソナン(城隍)木などから成っており、祭儀の課程や禁忌が厳粛に定められている。村の人々が積極的に別神祭に参加するなど、比較的形式や形態が昔の洞祭に近い形で伝えられている。 吾峙の別神祭は地域の祭りのひとつの形であり、共同体の民俗信仰的な機能と社会統合の象徴的な儀礼行為として存在した韓国の北方系の城隍祭だ。村の近くの峠に5つの神堂があり2年ごとに別神祭が行われる。これは忠清北道で唯一な別神祭でもある。